ここは北海道は豊浦町(洞爺湖の南西、ニセコの南)なんですが、
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紅葉も散る季節の 晴れた 昨日 2022.11.24、
お散歩をしていたら、
世界 というか
いのち というか
宇宙 というか
からだ というか
どれでも同じな感じなんですが、
その
素晴らしさ 完全さ
尊さ 美しさ チカラ
存在 響きあい
に グッときて、陶然と胸が熱くなるような感覚に襲われました。
ヌミノース的な神秘感覚というか
聖なるような しかし現実的で俗でもある
フラクタルのように、
どんな細部もまた美しく
またどんな大きなサイズでも美しく
すべては完全なものとして満ち足りてそこにあり
雑草も スミレも 枯れた葉も カラスも 土中の菌も 蜂も・・・
しかし同時にそれは不完全で変わりつつあり
全力でいろいろ尽くしていて
しかし無理もしていなくて すべてを受け入れている
そこには不幸とか幸せとかのジャッジはなくて
生きて ある という 歓びに 満ちている
それぞれは多様多彩で自由でありながら
一つでもあり それを知っていて
融通し合いながら生きている
ありがたい ことです
わたしたち 凄い! 素晴らしい!
言葉を失い、
ただそれを感じました。
味わいました。
センス・オブ・ワンダーとはこれかもしれないですね
凄い! 素晴らしい!
「私自身」もそうだと思うんです。
あなた自身もそうです。
特に何かものすごい能力があるわけではない
そこそこはある かもしれない
何かものすごい経歴があるわけでもない
そこそこはあるかもしれない
ものすごく稼いでいるわけでもない
そこそこはあるかもしれない
でも わたしは わたし であることにかけては世界一で
かけがえがなくて
それは 誰かの物差しでは測れないから
客観的に表すことは簡単ではないけれど
それは確実にそうである
落ち込んだり さみしかったり 悔しかったり
悲しかったり 自分を責めたり すべてが面倒になったり
絶望したり 無感覚になったり 空っぽになったり
いろいろあるけれど
それはそれとして
そう感じているんだね
そういうこともあるね
と 自身に よりそってみる
(進化中だしね 学び中だしね とかも)
今日も特に意識しなくても
息をして 心臓が動いてくれて 臓器も動いてくれていて
動きたいように動けている
自分の足で立てている
何かしら 働くか 存在しているか することで
何か食べれて 眠れて までできている
生かされている
ともに 生きている 生きあっている
大きな いのちを わたしとして生きている
大きないのちには死も生も大きなめぐりとして含まれていて
大きな いのちに生かされている
大きな ひとつのいのちが さまざまなわたしを生きている
それを 感じる それを 味わう
わたしは わたしに問う
大丈夫か?
いのちは こたえる
大丈夫だ と。
ならば いのちの たましいの 赴くままに生きよう
ならば いのちの たましいの 歓ぶままに生きよう
いのちの たましいの 歓ぶ 世界を 地球を 宇宙を 生きよう
わたしたち=世界いのち宇宙の ( Co-Being )
に胸が熱くなりました。
ありがとう