私(たち)は、
海、
生命、
宇宙、
カオス、
野生∞
宇宙の前に そもそも生命があった
今この瞬間も まず 生命 がある
カオスで野生な生命の海 が 大元
決して 無機質な時空のようなものから 有機的で複雑な生命が生まれたのではなく
そもそもが 有機的生命で 複雑性を潜在的にはらんだ可能性態であるように
そしてそれは原初のことだけでなく
常なる今一瞬一瞬もそうだ
競争しあって 敗れれば無に還る死 を恐れる
そうではなく
がんばらない 遊びとして 生と 生死の循環 を楽しむ
そもそも 私 とは 私たち でもある両儀的な量子的な社会的な存在で、
この体は社会。 私は社会を織りなしていて 生宇宙を織りなしている。

現代文明は、鉄の巨大な船のよう
石油を汲み上げ燃やし ゴミを海に捨て
目的は
ただ火を高く大きく燃やし(富・イノベーション・消費) 沈まないこと
だけどそれはバランスを欠いている
その船は宇宙に飛び出そうとしているのかもしれない
しかし沈むのを恐れるのではなく
海に飛び込めばいいのではないだろうか
私たちは 海を体内に持っている
(宇宙も体に持っている)
私たちそのものが 海(生命)なのだ
ならば飛び込んでもいいんじゃないか
ジャボン!
(飛び込むまでが怖い)
飛び込むと・・・
全身が 冷たさや 気持ちよさを感じ 暴れるが
自然と 浮き上がる
怖がって 恐さにパニクると溺れかねないが
落ち着けば
浮いている
「なんだよ 大丈夫じゃん」
私自身が 生きた船であった
私たち もまた 集合的な生命のネットワークだ
相互扶助しあう生命網群
(元々一つだからそういう風にできている)
浮くようにできている
ここは 生命の世界なんだ
だから こわがらなくていい
大丈夫だ
そこには 感謝や 祝福があり 歓びがあって
遊びや 創造や Giveや セッションや 共同創造や があって
生の営み や 生と死の循環がある
それを体感し 生きることができる
そこから歪んだ文明が甦っていく
生命の網に
身体からの 一人ひとりからの お互い尊重 からの 革(生)命
私(たち)は、海、生命、宇宙、カオス、野生∞ いのちだ。