Facebook に「分断は依存とセット+自律は協存とセット」と書き込んだら割と評判がよくて嬉しいです。
なので発展してみました(^ ^)
分断は依存とセット
「分断して統治せよ」とも言うように、トップダウン型の組織構造は、トップに依存させます。情報も意思決定も上位に制限・コントロールされます。一方、楽(らく)。責任を負わせてしまって楽な消費者になれます。
しかし、それは責任を伴わないゆえに、生きている実感も損ね、虚しさも伴うことになります。ピラミッド社会です。
パーマカルチャー(持続的なライフスタイル)では「買い慣らされるな」と言ったりします。
世界経済フォーラムのグレートリセットも、リセットする主体はあくまでトップダウンで、管理ガバナンスをグローバルに強化しようという面があるので要注意です。真に愛のあるガバナンスが共感神経と共にできたらいいのかもしれませんが・・・。
自律は協存とセット
自律は、自立し、自立しているからこそ自律し、相互扶助します。結果、共生(協生)します。フラットで中空のドーナツ社会と言えるでしょう。真ん中に広場のある広場と言った方がいいかもしれません。
ティール組織(ターコイズ等上位も含む)や自然社会(SINIC)もこれを指向していると思います。
全員が意思決定者であり、投資家であり、はたらく者であり、享受するものでもあり、直接民主社会でもある。その調整がたいへんな面もあるけれど、共感・スロー・熟議・多重性(地域・生態圏、地球圏・・・) を大切にし、そのためにこそAIやコミュニケーション等の技術(ソフトもハードも人間も)を使えばいい。
各々が半自給(半農(狩)半X)しながら(孤立しても死なない)つながりあい、与えあう(はたらき。お金になろうがなるまいが)、そのベースがコモン_ベーシック・インカム・プラットフォーム(生態系+インカム(世界通貨も含む))。
逆ピラミッドはいい
トップから押さえ込むのでなく、最下層からインフラや場として支える形態ならいいでしょう。大地のように。この場合、底辺がドーナツになっている。
社会も心身も生態系も
これは「社会」でもそうですし、
「心身」もそうです。
脳が体より偉いわけではありません。逆に、脳が自身を過信することでさまざまなこと(事実や盲点や)を見落とすことのほうがリスキーです。
頭が考えなくても、全身が勝手に生きるシステムがあって、まだまだその神秘はわからない。ミトコンドリア、腸内細菌、ポリヴェーガル、身土不二・・・
各細胞は階層ももちながら、直接民主制の面もあると思われます。
生態系もそうです。
人間が一番偉いわけではありません。森は生きている 森は考える プラネタリーヘルス ともいうように、菌根菌はじめ多様多層な種の動的ネットワーク自体が生命です。
社会もそう。必ずしもピラミッドでガチガチではありません。いろんなゆらぎや現場の知恵がある。
トップからとボトムからの双方による創発でいろんなことが動いている。
トップダウンとボトムアップ、どちらかではなく実際は双方の創発によってものごとは動いています。
(トップダウンは後発ではあります。ゆえに、発展というコンセプトが生まれ、後発が偉いという幻想を西欧が作った。創発による進化変化は確かにあるが、偉くはない)
トップ:秩序・効率性・経済・ホメオスタシス・意味・法/公共・精神
ボトム:多様な自由・無駄・アート・おもしろスタシス(トランジスタシス)・脱意味・遊び・身体
という切り口もあるでしょう。大事なのは、おもしろいのは創発です。
さらに横軸でも多様なボトム相互にももちろん創発があります。
創発にはスペース・空・エッジ
心身にも 社会にも 生態系にも スペースが、「空」が必要です。そこでシェアや交換や創発が起きる。
空において、シェアが行われ、創発が起こり、流れが、生滅が、生死が生まれます。それは 自由 の場であり、ゆるし の場であり、愛 の場でもあります。やさしく 強い 場です。
空がなければ、何かがそこに居座れば、新陳代謝は滞ります。新陳代謝は生と死の、存在と非在の、裏不返しですから。間の拠り所でもある。
イマココは無限世界の重ね合わせ状態
発想のため、ちょっと飛躍します。
時空というか宇宙というか量子論的な多世界宇宙においてはどうでしょう?
私(私がいるこの生成・自己意識)は、「今ここ」にいると思っています。
(意識は前倒しというか、ちょっと未来側に前のめりになっています。
きっとそれは意識が 0.5秒遅れているので補正しようとしているためかもしれません。)
多様な存在(Self : Being)の あり方 は多様な Becoming として、相互に生成相互創発しながら生まれ変わり続けているのが、イマココの実相でしょう。そしてそれは無限の可能性が、01ではなく0〜1の間に無限にあるグレーゾーンのような確率とて重ね合わさっているとみてはどうでしょう?そう、量子論的に。
今起こりうる世界が、さまざまな確率で同時に響き合いながら多世界が高次元的に同時存在している。
春夏秋冬は、同時にありつつ、存在濃度が変化しているような。そしてそれらは互いに響き合っている。
存在 ingは生滅創発
とすると、私(自己)が私(自己)の「今ここ」に(意識して)こだわりすぎると、自由で生き生きとした「生・いのち・SELF」が阻害されます。
私は 真ん中から少しズレたあたりで、さまざまな可能性に開きつつ、あるのがいい。広場の端に教会や寺社や神社があるように。
結果として、広場の真ん中に青空が広がる。
広場の周りには多様なお店や暮らしが広がる。
噴水が地下と空を繋ぐ。人々が賑わう。自然の恵みが市に集まる。
自然を世界を祝福する。
重心 には いる が、止まっているのではない といいうか。
中動態がたぶんそれ。心身全体で、「今ここ」が私を通して いる 感じ。
ど真ん中は「空」で、"いのち" の風が吹いている。
いのち とは 存在 と 間 と 非在 の 無限に重ね合わさる うた である
分断は依存とセット
自律は協存とセット
存在は非在と
そしてその無限の間との
アンサンブル 響きあい。
創発
半農(狩)半X という自律
不食は風食 という自律
ホロニックでホリステックに映しあい響きあう華厳的自律分散
(水晶玉にお互いが映り合うように、相互に影響し創発するのが華厳的世界観という理解. Inter-Being )
選べ もう一度
選べる自由に 目覚めよ
満ち足りた内発的な循環トーンにある 空 スペース エッジ
それは 愛
循環を めぐりを 楽しむ
季節〜春夏秋冬 というめぐり
呼吸 という めぐり
種から根から茎葉花実 という めぐり
人生というめぐり 祖先子孫という めぐり
文化というめぐり
体感せよ
全細胞 全分子 全原子 全生命で いのちを
未知の感覚器で 暗黙の 知られざる いのちを
めぐり であり 循環的な濃度変化でもある
リズムであり うた でもある いのち
うたは 多様だ 心身だからこそ
暗さ 美しさ 楽しさ 悲しさ 重さ 気楽さ 明るさ 元気 強さ・・・
多様ゆえに歓びだ
わたし たち
多様な現れ self であり ひとつのSELF でもあり
動的でもある SELF Wholes(多全即一) は、
決して傷つけられない
君は 私は どう生きているのか?
内発的に & 他力的に 中動態として
イマココ は 重心
(中動態:私がやる(能動)でも 私がさせられる(受動)でもない中間。「惚れる」というのは中動態: 誰かを“好きになろう”と意識して惚れるのではなく,好きという感情が“自分の中に立ち現れてくる”というイメージ)
生命を重心にかけながら生きている
それは歓びだ
生命は 生と死の創発ダンス
全細胞は量子的な生命
生と死のリズム&グラデーション
(光とか量子は、粒子(1)でもあり波動(0)でもあり、潜在状態(間)でもある)
全ての 分子も 原子も 量子も 粒子/間/波 もまた生きている
宇宙もまた生きている
生命は進化の中で生まれたのではない
最初から 生きている のだ
宇宙=世界という場ごと
すべてが、生きている 多様に
うたっている 踊っている 舞っている
選べ もう一度
歓びのうたを
いのち(生命=世界=宇宙)とは
存在 と 間 と 非在 の 無限に重ね合わさる
うた(響きあい)=ダンス(踊・舞) です。
未来と今と過去の 無限に重ね合わさる うた(歌舞)でもあります。
それら いのち= SELF は、いのち は歓んでいますか?
YES