目次
- 悪者はいない
- 悪い人はいません。いるのは、弱き人です。
- 強き人も よい人とは限りません
- 弱いことは悪いことじゃない
- ではどうすればいいのか?
- まず気づく
- 資本主義システムを変えればいい
- 逃げ場所を作ればいいかもしれない
- 自分を守る〜ケアする
- SELF
- 自分を開く
- 少しづつ軸足を変える メタモルフォーゼ
- 支配システムの死と新生
- 弱きものからの覚醒
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悪者はいない
社会には残念なことがたくさんあります
汚職とか裏金とか虐殺とか汚染とか差別とか・・・
でも
悪い人はいません。
いるのは、弱き人です。
会社や組織や国やシステムの求める通り、違和感があっても、何か違う、嫌だ と思いはしても、しょうがない 仕方がない として務めを果たす。
みんなそうです。食べていくために、この社会の中で、リスク少なく、生き延びていくためには しょうがない 仕方がない。
小さかったり大きかったりグラデーションはあっても、どこかしらで妥協しているのではないでしょうか? 自分もその一人です。
強き人も よい人とは限りません
良かれと思ってしていることが、本人のためではないことはよくあることです。
「お前のためにやってやったのに」・・・かえって迷惑。
昔よかったことが今良いとも限りません。道路がなかったときは嬉しかったけど、川も海も護岸やダムやコンクリートだらけだとやり過ぎで、ものごとには適度十分のレベルがあるのに・・・。
モノ不足の頃は、新しい車が嬉しかったけれど、モデルチェンジが多過ぎて、地球にゴミが増え、エネルギーと資源が無駄になって、二酸化炭素も増えるばかりで気候変動な今。
しかしこれら(成長や開発や教育や)は、決して悪意ではなく、善意でなされています。
「もっと開発すればうちの地域は豊かに幸せになれるはず」
地獄への道は善意で舗装されている(ヨーロッパのことわざ)
結果的にその善意は、幸せに結びついているのでしょうか?
経済成長は、満腹を越えて病のレベル。お金ががん細胞のように成長を強いる時代です。
弱いことは悪いことじゃない
みんな弱いんだし、
強い/弱いの一択でなくてグラデーション。
そもそも弱さってなんのこと?
「本当はこうしたいのにそれを選べない弱さ」かな?
本当にしたいこと/ありたいこと < 〜な目に会いたくないこと
それって 本当にしたいことを選んだときに被るかもしれない危険や怖さや不安 を少なくしたいという選択。
みんな多かれ少なかれやってるし
サバイバルのため 生きていくため にはしょうがない しかたがない
恥ずかしいことじゃない
でも「恥ずかしいこと」になっている?気がする
みんなが
仕方なく しょうがなく
あきらめながら 恥ずかしく 思っている
気がしています
みんなって誰でしょう? これは自分だけの幻想でしょうか?
もしお互いに そうなんだよね って話ができたらどうでしょう?
それは傷を舐め合うこととして蔑まれるようなことなんでしょうか?
「すこしは楽かな 明日もあるしね」(僕のこと)
もしみんながそう感じたり思ったりしているなら
それは構造、仕組み、システムのせいかもしれません
ある仕組みの中で仕方なく生きざるをえない時
人はそんな仕方なく生きる自分を自己否定しがちです
そんな社会を変えない変えられない自分を自己嫌悪し恥じます。
それは悪いことではありません 健全です
本当はそうではないことを知っているから感じることです
自身を責める必要も恥じる必要もありません
支配しようとするシステムは、
支配しようとしている者に、支配されているという概念を植え付けようとします。
きっかけは、意図や意思の食い違いがあったときのあきらめとか。
こうしたい→それは無理→交渉→あきらめや妥協→自己卑下
自己卑下は、支配されているというアイデンティティを固めていきます。
だから支配する側はそれを最初は徹底的に、そして慢性的にやります。
そう、これは支配病というか、システムに支配されている病です。
社会的なDVのようなものです。
わかっているけれどそこから抜け出すことはできず仕方がなき自分を責める。この国や社会を大事にも思っている。しかし、誰も幸せになっている気がしない。
ではどうすればいいのか?
ではどうすればいいんでしょう?
まず気づく
これは 私たち一人ひとりのせいではない ことに気づく。
一人一人のせいではなく システム=社会の仕組み のせいです。
それはお互いに、弱さというか、しょうがないと思っていることをカミングアウトすることから始まります。
そこから感じていきます。
自分の体は居心地が悪かった、心は感じないようにしていたが、つらかった等々。
自分を責めることをやめます。
一方「私たち一人ひとりのせいではない」けれど
「私たち一人ひとりから変えられる」可能性は感じます。
資本主義システムを変えればいい
DV的社会というか、魂の植民地主義というか、行き過ぎた成長偏執資本主義というか、これを革命します。これは可能です。
といっても壮大すぎてにわかにはリアルに感じられないかもしれません(とはいえ可能性は探りましょう。脱"成長主義"を選ばなければ、資源枯渇、気候変動、食糧枯渇等で破滅ですから)
逃げ場所を作ればいいかもしれない
違和感を感じた時、Noと言うのは難しい。
ならば逃げるとか、お茶を濁すとか、サボるとか、ズル休みするとか・・・別なやり方もあるかもしれない。
でも真面目だとそれも難しいかもしれません
だったら、逃げ場所を作っておく、見つけておく のはいいかもしれない
駆け込み寺のような、アジール(「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」)を、いざとなったらそこに逃げ込む。ずっとでなくても一時的に逃げ込めればそこで次の展開を探れるような。全国各所のエコビレッジ系の取り組み先とか、実家とか、地域おこし協力隊みたいな制度とか、自己破産や生活保護の制度も含めて。またはネット上にメンタルな逃げ場安心場や仲間や友達がいるだけでも力になるかもしれない。いずれはユニヴァーサル・ベーシックインカムを。
自分を守る〜ケアする
強い人や賢い人は大丈夫かもしれないけれど
みんなそういうわけではない。
あまり考えると難しいから 考えないようにすればいいのかもしれない。
現実的には、たいへんだから、あまり深く考えずに生きた方がストレスもたまらずいいかもしれない。
自分を守って生きていけばいい。
まず自分をケアしよう。
必ずしもサバイバルモードでなくてもいいんだよと。
自分をケアする
自分を 責めない 自分を可愛がる 愛でる 話を訊く 感じる 優しくする 厳しくしない 励ます
SELF
自分をケアしているのは誰だろう?
問うているのは誰だろう
あなたとは誰だろう
自分を開く
自分を守る鎧は、実は外の風や水や大地や火の恵みをも遠ざける壁でもあります。そして、人や助けや運とのご縁をも遮っていたりします。
(支配システムは、依存させたいので、各自が閉じこもって盲目的に依存しながら消費しながら生きてくれた方が助かります。)
自分が遮っているだけですから、ちょっと自身を開いて、ちょっと怖いけれど覗いてみる。勇気がいるかもしれません。おせっかいが必要なケースもあるかもしれない。
引っ込む。また覗く。を繰り返して開いていけばいいです。
(「唯心論」近いかも)
そうすると、風や水や何か第6感を感じるかもしれません。
そして、「自分が生きていること」も感じるかもしれません。
呼吸している神秘、体が自律的に動いている神秘、脳が考えたり、心臓が感じたりしている神秘、、、
支配システムの外にも心の窓が開きます。
(「モモ」の灰色の男たちの灰色ワールドに色彩がしのびこむみたいな)
時短や効率性や生産性の中で、役にも立たない無駄扱いされていたものこそが大切です。一人ひとりの存在そのもの。それを受け入れてあげてみてください。
少しづつ軸足を変える メタモルフォーゼ
支配システムは、支配しているとは意識させません。
「当たり前」の前提であって、それがなくなればみんなもろとも死ぬ大前提と認識させます。しかしそれは「裸の王様」でもあります。
王様をやっつける必要はありません。王様は偉くも当たり前でも強くもないと知ること。認識をアイデンティティを変えること。
一人ひとりの中で王様の臣民であることから降りること。
「お金」もそう。信用がお金ですから実体はありません。
並行して、灰色システム(支配システム)からはみ出る生き方やご縁をたくさんつくっていきましょう。アジールもそうかもしれない。ベランダプランターやコンポストもそうかもしれない。zoom仲間や、ネット仲間、プロジェクトもそうでしょう。多様なグループや会社に属したり、複数の地域や国や住まいをもったり。
ジャンルやボーダーを超えたり、交わらせたり、ずらしながら、計画にしばられすぎず、今ここを生きていく。そんな動的な流れの中に灰色世界を買いたいしていく、生きた世界を取り戻していく。コモンズが取り戻され、地球に所有を返し借りさせてもらう、未来も過去もまじえた生命として生きていく、ことも可能です。
支配システムの死と新生
支配システムは自滅します。
一人ひとりが生き生きしないから。
人や存在は、生産や消費のために生まれてきたのではないから。
少しづつ生命(いのち)が乗り替わっていくと
命を愛であい、歓びあい、祝福しあい、歌い合い踊りあうでしょう
それらを通してさまざまな創造も織りなされるでしょう。
いのちを資源にはしないし 無駄遣いもしない
結果としてサステナブルでもあるでしょう。
弱き(と思っていた)者が、世界を変容し、救うでしょう。
ただ、自身を大切にすることを通して
弱きものからの覚醒
振り返れば 弱き と思っていた 一人ひとりが 弱いとか強いとかではなく かけがえがない一人ひとりであり、本来ひとつの生命(いのち)であることを思いだして、世界をつながりなおしたことから 暴走した資本主義システムを軌道修正し 多様な可能性が花開けるように 遊ぶように生きはたらく そんな世になりましたとさ❤️🔥めでたしめでたし㊗️