自己肯定ということを改めて考えてみる・感じてみる。
ここに"いる"意味・意義がある
宇宙始まって以来受け継がれてきた命の一つとしての自分。そして未来にとっての先祖であり、受け継いでいく主体としての、意味や意義。客体としての意義や意味。
ここに"いる"価値がある
私がここにいて役立てる何かがある。小さなことでいい。それは必ずあって、出会っていないだけ。役立たなくても、喜んでもらえる、嬉しく思ってくれる、存在だけで価値はある。
ここに"いる"感謝がある
ここにいることの”ありがたさ”、育ててくれたからここにいる。生命や細胞や環境やご縁やのおかげで生かされている。感謝することこそが生きる意味かもしれない。感謝されることもあるかもしれない。
ここに"いる"嬉しさがある
生きていると体が嬉しいことがある。生きててよかったということがある。一人じゃない嬉しさを感じる時がある。生きていると心が嬉しいことがある。死んでいくことも嬉しいのかもしれない。
ここに"いる"ことへの承認がある
あなたがいてくれて嬉しい とか 好きと言われること とか 誰かにいてくれることへの感謝を感じたりとか 存在を肯定されることがある そして嬉しかったりする 誰かにその存在の肯定を伝えたくなることがある
受けとめ 受け入れる 感謝する 味わう
しかし依存しがちな面に注意。自分が自分に承認してあげることが大事。
一緒にここにいることへの肯定がある
ここに"いる"実感がある
細胞が活動している 素粒子や量子や波動が生き活動している 環境が相互活動している 情報が流れ創発している 感情が遊んでいる 思考がはたらいている 霊が響いている 私がいる さまざまな存在がいる 全体がある/いる よりそったり はじけたり とけあったり 変容したり うつりかわっている 感じる self と観ている SELF がいる 実感している。
苦しさ や 痛み や 辛さ や 虚しさ だったりもする。
これらは全て、私にある。
これらは全て、私にある。そして私たちお互いにある。全体にある。
決して、市場には無い(ヒントはあるかもしれないが)。
私にある。
なぜなら、私が ここ に いる から。
いる。ある。存在している。とは、存在にYESということだから。
(No は存在しないこと。
痛みとかには意義があるので、味わい、感謝し、手放すことで流れにお返しすることができる。)
("私"は SELFとしての"場"であり、そこにはさまざまなパーソナリティ(分人、パーツ、サブ人格)が共生してもいる。そこが健全な場であることが大切です。)
問い:存在と非存在の間とは?
答え:量子的な生と死。虚数的量子的な存在態。SELF。
私は生きている 存在している ので 非存在について不可知かもしれないけれど
実のところ
生命とは 存在と非存在が踊りあっているその代謝活動のようなもの。虚数的量子的な存在態=うた のようなものだ。その場・背景がSELFだったりもしている。
楽しめばよいのだ。祝福すればよいのだ。感謝すればよいのだ。