世界は生きていて 0↔︎∞ に 呼吸し 循環し 増え減り めぐりあい 響きあい 遊びあっています。
宇宙の前にそもそも生命はあり、そのめぐりの中にこの宇宙もあるわけです。
ゼロ↔︎1↔︎多↔︎∞
見えない↔︎見える 形や境界が ない↔︎ある
同時にあったりなかったり重なりあっていたりします

図1を横から見ると、
前に「私・I」と奥に「私たち・We 全体」という3次元に気づきます。
これら( I と We )は つながりあっていて 関わり合っていて
見方によって 同じでもあり 別でもあります。
なので、私 が 変われば 世界 も変わるし 逆もあります。
そもそも 生きているので 変わりあい 関わりあって います。

テクノリバタリアン的なヴァーチャル世界が生命世界を呑み込もうとしている?
ところで現代は、近代以降の変化の中で、見えることを重視する上半分の部が肥大している時代です。2024年末にトランプ大統領になっての変化はさらに加速し、混乱の中、どんどんとヴァーチャル世界に呑み込まれつつあります。AI〜シンギュラリティという背景もあるでしょう。
生命やめぐりはないがしろにされ、成長発展の一辺倒。
季節を超越した常夏の実現へ。
コントロール好きな男性社会の究極とも言えるかもしれません。
これはしかし結局トップ層はいいけれども、あとの大大多数は奴隷のようなものです。
ただ隷属を自覚していない世界観なだけなのです。
奴隷的幸福でも十分という声はあるでしょうけれどそれもまたコントロールです。

from 冬至に"いのち"と つながりなおしました❤️🔥
https://note.com/uchi/n/nfb4c03f1a2b4
オルタナティブ(じゃなかしゃば)は可能だ
しかし大元が生命なので、揺り戻しは可能です。
(もちろん自滅も可能です)
システム的に見れば、
見えない下部復活ボトムアップ&相互扶助的&女性的&右脳的 バランスの動的にとれた社会 無意識的動物的 への揺り戻しですよね。
キーは 私から
ボトムアップの基本は一人ひとりの尊重から
私を大切にする こと。
隷属ではなく 一人ひとりが 主人公 となること。
私は 無条件で大切です。
なんの条件もなく(なんのスキルも能力もなくてもOK)
存在だけで 価値があると認められ
(認められる必要も本来無い)尊重される。
その第一歩は 私が 私を大切にする こと。
セルフケア、SELF LOVE、セルフ・ラブ、SELF CARE。
(自分が自分を肯定しない ねぎらわない 自己犠牲自己虐待する ことが多い。それは社会構造的にもそう)
いつかそんな社会になるのを待つのではなく 誰かや環境を待つのではなく
ましてや救世主やリーダーを待つのではなく(それこそが隷属)
私自身が 私を 愛で 祝福し 寿ぎ 大切にし 愛すること から
私 を 感じ 歓び 楽しむ ことから
それは法律もシステムも勤め先も恋人も変わらなくてもできること
その足場は、根拠は、
ご自身の存在そのもの。ご自身が今、生きて在ること。
その事実そのものです。
ところで
私 とは なんでしょう?
この意識?心?脳?
「我思うゆえに我あり?」デカルト
でも意識の 0.5秒前に意思決定しているという研究もあったりします。
(マインド・タイム by ベンジャミン・リベット)
つまり、意識より前に、体や無意識が決めてるわけです。
(脳はモニターしているわけですね)
もちろん 意識は意志をもって自分をコントロールもできます。
しかしその意志は育ってくる中で培われた自我なのでしょうが、これは先天的な潜在的可能性と後天的なさまざまなできごとの掛け算です。
学習する脳と身体の可変的プログラムという解釈でしょうか。
ただ、それだけとも言えないでしょう。
では 体は?
私は、この体 だけではありません。
体は 微生物などによって成り立つ 体という社会 ですから。
(この体は 私のDNAだけでなく 私のDNAではないミトコンドリアと一緒に働いている細胞 や 腸内菌をはじめとした無数のバクテリアや共生菌によって生き動いています)
さらに、この体は、この地球の生態系の中で新陳代謝していきているわけです。恐竜が昔呼吸した大気を呼吸し、海水や氷河だった水を飲み、太陽エネルギーで育った植物、それを食べた動物、それらを加工した食品を食べて生きています。ウイルスは様々な遺伝子を運んできて、細胞に変異を生んでいます。
体を作るのは食べたものだったり、空気だったり、水だったりしますし、超量や化学物質にも影響されます。
そしてこの社会も、太陽エネルギーからできた石炭や石油、太陽光や太陽熱、地熱、等をベースに社会インフラや物流やプラスチックや電力で社会を動かしています。(今はAIや仮想通貨の使用電力も半端なくなっています)
これは拡張した身体とも捉えられます。
地面と裸足 から 道路と車と靴 に変わったのもそういうことです。
私は 私たち(人間同士、社会、AIも含む社会システム)と 一蓮托生 なわけです。
その境界は、細胞と体の境界があいまいなように曖昧です。
意識の持ちようだけだったりします。
であれば、意識のもちようを変えてみることです。
社会からみた時、私はただの歯車細胞に一瞬見えるかもしれません。
しかし決して「私」はただの細胞ではない
(細胞でもありますが、それだけの存在ではない)
いのちの連なり
私(たち) は いのち です。
いのち が (状態としての)私(たち) を 生きています。
主体は いのち なのです。
そしてそれは 宇宙より先に始まっていたのかもしれない。
私 が 生まれた というのは
それを 感じる意識 を持てたということができます。
これは 贈りもの ギフト です。(もの ではなく こと です)
ただしこれは負債ではありません。
生まれて いきていること だけで 与えてもいるのです。
(世界は贈与でできている by 近内悠太)
ケアの現場でも ケアする人は実は ケアされてもいます。
親 にとって 子は 生まれてきただけで 嬉しい ギフトです。
それでオツリがくるんです。
(自分も 娘が生まれて まさにそうでした。
そして後の気づきで 親に対する 義務感から解放されました。
一方 親が死んだ時 親への感謝が起こりました。)
過去や未来を通して、与えたり受け取ったり、
時間的にも循環している世界なのですから。
(この世界・宇宙は常に双方向なのです)
私(いま) は 私たち(過去・未来)であり、
多様多彩な私たち生命の 連なりそのもの でもあります。
短い毛 が 紡がれて 糸 となり 紐に 縄に なるように。
(ティム・インゴルド メッシュワーク)

https://note.com/uchi/n/ne35d018984a7
一人ひとりからの 世治し
私 は 私たち でもあります。
一人ひとりが 私自身を 私たちお互いを 大切にすること
そこから 世治し が 始まります。
今の世界はアンバランスで病んでいると感じます。
それは産業革命や近代科学や人間至上の発展思想が、生命の大切さを軽視するようになったからだろうと思っています。
(これは西欧文明の侵略という負い目の正当化とも言える)
心身の瞑想もその一手法になります

多様なさまざまな自分を統合していくことを通して、私や私たちをとり戻すことができます。
(植民地化された魂を脱植民地化することでもあります。)
トーラス的なエネルギーワーク
体の 内側 を リアルな私 や リアルな世界 として 意識します。
体の 外側 を ヴァーチャルな私 や ヴァーチャルな世界 として 意識します。
体の 上半分(おヘソから上側 特に頭)を 既知の私 や 既知の世界 として 意識します。
体の 下半分(おヘソから下) を 見えない 私 や 見えない世界 として 意識します。
上から下へ チャクラ を意識しながら下ろしていく手法が多いと思います。(チャクラ:wikipedia)
頭、胸、おヘソ下の丹田 の3箇所でシンプルにする方法もあります。
頭(思考) から 胸(感情) から 丹田(身体感覚)へ
さらに 地球へ 根を生やし 地球の真ん中へ
底をついたら 陰極めれば陽生ず で 上に向かいます
仙骨(尾骶骨の付け根)に種が生まれ
芽が出て 葉を伸ばし 茎が伸び 頭を超えて 太陽へ伸びて
私を超えて 葉を広げ 宇宙の中心の太陽に広がり 花を咲かせます
体の 前半分(顔やお腹側) を 私 として 意識します。
体の 後ろ半分(背中側)を 私たち として 意識します。
(ゲーテ的対話法等で背中を感じる方法があります)
体を感じ、世界に想いを馳せます。
(体の前後は、小周天や大周天のようにエネルギーを回してみるのも面白いでしょう)
トーラス状にエネルギーの流れを感じます。
体内を通って 地球の中心から 宇宙の中心へと
下(地球の中心)から上(宇宙の中心)に回る循環と
上(宇宙の中心)から下(地球の中心)に回る循環
と両方があると思いますが あるように感じてください。

分断を解消し、生命の巡りを体感する。
そして境界も意識します。
体の前後の間、上下の間、内外の間
見える世界を重視するあまり、境界が分断になっています。
・私 と 他者
・体と心
・リアルとヴァーチャル
・人間と生物界
・見える世界と見えない世界(見えない世界は 存在しない)
・・・
私たちの ハート が 繋ぎます。世界の中心です。
人間は 大地と空 を繋ぐ存在です。
個と全体を繋ぎます(これは人ならではかな)。
トーラス状の流れ の 地 である 場全体を感じると、
中心に 空 があるのがわかります。
0=∞ が 量子真空な地場(ゼロポイントフィールド)に満ちています。
それを感じましょう。
手の出番です。
両手を 合掌の形にします。
分断を統合する、関わり合いを取り戻す 祈り です。
手を回転させて、上(見える)下(見えない)も統合します。
手を回転させて、内(リアル)外(ヴァーチャル)も統合します。
手を回転させて、前(私・今)後(私たち・過去と未来)も統合します。
循環を感じましょう。
右手は ふゆ〜育まれ 張り(はる)、育ち、ふえる 流れを受け取り育ちます。天に右手を差し上げてもいいでしょう。
合掌の昇天で花は受精します。
左手は 実りの恵みを受け取りわかちあいます。そして、今生を手放し、枯れ、還っていきます(死)。左手を地につけてもいいでしょう。
そして 豊かな土から 蠢く新たな命が生まれてきます。
手は 世界への働きかけに持ってこいなんです!
生命の巡りを 生死の連なり を感じましょう。

世界と私を愛でる
暮らしの中で 生活の中で 一秒一瞬の中で
自身や お互いや 花や 空や 海や山や 菌や 食べ物や 器や 機械や 景色や 装い や 佇まい や 通り や 空気 や 水や 森や 宇宙 や 夜明けや 夕暮れや 星や 風や 沈黙や 息吹や・・・
を
感じること 大切にすること 祝福すること 愛でること 戯れ遊ぶこと 感謝すること

予想以上に世界が動いていますが、
変に動揺しないで、地に足をつけるのが大事です。
最もな「地」はご自身の「からだ」であり、
身の回りの生きている自然です。
それらは見た目以上に深い、生きた宇宙です。
ご自身も自然も。もちろん社会もまた。
(生命は宇宙より前にあった
というか
宇宙そのものが僕らも含めて生き続けてるんです
わたしたちは 死なないんです )
ですから最も身近な お体、お心、
そして足元や散歩できる身近なところ を
愛で(めで)、祝福し、感謝いたしましょう。
世界はつながり響きあっているので、めぐりめぐりまわってきます。
私たちは 生命(いのち)を授かって生まれてきました。
そのご恩は生まれた時点で返しています。
(亡くなった親にはいまや感謝しかありませんが
子らには改めて感謝が降り積もる一方ですね)
私たち一人ひとりは
存在そのものだけで
既にじゅうぶん素晴らしい存在です。
(ただ、それが 見えづらいだけなのです)
ですから
自身の心身 や この生命めぐる世界や
人々の助け合いや創造や、社会が機能していること、
目に見えぬ神秘や
この愛とエネルギーの場(世界、宇宙、機会、ご縁)を
味わい 楽しみましょう。
そして あなた自身の歓びに
耳を傾け 感じ
生きましょう。
(これは探求あるのみ(^ ^))
マイナスを感じる必要はないし
ましてやそれを埋める必要もありません
最初から Enough です。
生まれてきたことにありがとうございます
あなたにあえたことにありがとうございます
わたし いつも ありがとう
U理論、R・シュタイナー、仏教、ジョアンナ・メイシー、NVC、グレーバー、人類学、システム理論、アーノルド・ミンデル、リン・マーギュリス、IFS、Human Potential Lab、ヒッピー、SINIC理論,,,その他無数の叡智に感謝

59歳の誕生日前日に記す。